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 第四回忠臣蔵博士試験問題と解答(平成18年6月実施) 

第1問

吉良上野介の妻(富子)が松之廊下事件の後、上野介に自殺を勧めたとする当時の書物を挙げてください。

2

義士切腹の後、持ち物から琴の爪が出てきた義士は誰でしょう。

3

松之廊下事件や討入り事件があった時代、浅野家の広島本家はどのくらいの石高だったのでしょうか。

4

元禄15115日、内蔵助は江戸日本橋石町の小山屋に入りますが、その隣の旅籠の名前を書いてください。

5

元禄14419日で赤穂城は明け渡され、浅野家の家士は全員致仕されるわけですが、失業しない家士が一人だけいました。誰でしょう。

6

次の記述の中で誤っているのはどれでしょう。

@     現在、梶川与惣兵衛の墓は無縁仏になっている

A     梶川与惣兵衛の加増五百石は、現在の足立区である

B     梶川与惣兵衛は“特別待遇”で大奥へ入れた

C     梶川与惣兵衛の書いた「梶川日記」は自筆で執筆した書物ではなく写本である。

7

次の記述の中で誤っているのはどれでしょう。

@     田村右京大夫の替紋は五七の桐である。

A     田村右京大夫の上屋敷で内匠頭は切腹した。

B     田村右京大夫は伊達政宗の分家である。

C     田村右京大夫が内匠頭の庭前切腹を決めた。

8

次の記述の中で誤っているのはどれでしょう。

@     内蔵助は115日江戸へ正式入府する前、夜な夜な江戸へ入り会合をしていた。

A     上野介は1214日、上杉家より茶会のため帰宅してその日に討たれた。

B     討入り口上書の本物は栃木県(ほど)(むら)紙を使って書かれていた。

C     討入りにはがんどうを表門隊用一つ、裏門隊用一つ、合計二つ用意していた。

9

次の記述の中で誤っているのはどれでしょう。

@     内匠頭切腹の時、介錯人磯田武太夫は失敗して耳の脇を傷付けてしまった。

A     内匠頭を取り調べたのは近藤平八郎である。

B     松之廊下で内匠頭が切り付けた時、勅使は既に登城していた。

C     田村邸において内匠頭は自分の刀で切腹した

10

元禄14819日、上野介は呉服橋から本所へ屋敷替えとなったが、呉服橋の屋敷はその後どなたが入ったでしょう。

11

松之廊下事件の原因に関して、比較的早い時期に、正しいと思われることを示しているのは下記のうちどの史料でしょうか。

@ 元禄快挙別録   A 護持院日記   B 誠尽忠臣記   C 沾徳随筆

12

大石頼母助の系統に、幕末に近い頃、江戸北町奉行を務めた多才な人物がおりましたが、どなたのことでしょう。

 

13

次の記述の中で誤っているのはどれでしょう。

@     義士たちが通ったとされる泉岳寺の山門が現在も残されている。

A     堀部安兵衛が討入りに持って行ったとされる真刀が現在も残されている。

B     木村岡右衛門の血が付いたとされる墨跡が現在も残されている。

C     杉野十平次の十文字槍が現在も残されている。

14

次の史料についての記述で、正しいのはどれでしょう。

@ 「大石内蔵助十八ヶ条目」の内容は正しい史料である。

A 「易水連袂録」は玉石混交であるが、正しく深い部分もあり貴重な史料である。

B 「堀部武庸筆記」は誤説も多く記されている。

C 「江赤見聞記」は誤りが少なく正しいことを伝えている。

15

史料価値の高い順に並べてください。

@ 赤城義臣伝   A 堀内覚書   B 忠誠後鑑録   C 梶川筆記

16

寺井玄渓は赤穂浅野家の藩医で、内蔵助とも親しく手紙等のやりとりもあったと思われますが、現存する手紙が極端に少ないのはなぜでしょうか。理由を書いてください。

17

次に挙げるのは赤穂義士に関わる剣術の道場ですが、現存し場所が分かっているのはどれでしょうか。

@ 堀内源左衛門の道場     A 堀部安兵衛の本所林町道場

B 堀部安兵衛修業の馬庭道場  C 杉野十平次の徳右衛門町の道場

18

堀部安兵衛が筆記していた「武庸筆記」は、全く同じ語字で書かれていたもう一つの筆記がありますが、次のどれでしょう。

@ 赤城盟伝    A 介石記    B 金丸筆記    C 落去書留

19

大石内蔵助は、京 石清水八幡宮の塔頭(たっちゅう) 宮本坊や大西坊と関係し、兄弟を送り僧籍を継がせていますが、その理由を下記から選んでください。

@     武家は殺生をするので、兄弟の誰かを僧籍に送り込むのがならわしであった。

A     主家浅野家の命による大石家代々のしきたりであった。

B     単に僧籍を選んでいるにすぎなかった。

C     主家 浅野家の繁栄を祈るためだけの塔頭を作っていた。

20

大石内蔵助は赤穂を離れ京都の山科に移り住みますが、その際間に入って土地のお世話をした人は誰でしょうか。

21

大石内蔵助が移り住んだ京都山科の1800坪の土地は、内蔵助が使う前は誰の土地だったのでしょうか。

22

赤穂義士のうちで、顔に疱瘡(ほうそう)の跡が残っていたことが一級史料で認められる人は誰でしょう。

@ 菅谷半之丞   A 矢頭右衛門七   B 間瀬孫九郎   C 大石主税

23

下記文章の(    )を埋めてください。

 内匠頭の弟大学は、幼名を(    )と言い、晩年は号を(    )と改め、墓は(     )寺にあります。

24

下記文章の(    )を埋めてください。

 浅野内匠頭の母は内藤家から浅野家へ入っておりますが、名は(    )と言います。

 

25

討入り以後、細川家の話し。ある日、伝右衛門が伊藤家に出掛けました。帰って来て、吉田忠左衛門に寺坂吉右衛門が亀山に帰着した話しを伝えましたら、忠左衛門は烈火のごとく怒りました。なぜ激怒したのでしょう。

26

次の(    )を埋めてください。

 義士潮田又之亟の妻(     )は、又之亟切腹後、名を(    )と改め、再婚しました。墓は赤穂の(     )寺にあります。

27

大高源五は元禄15年俳書「ふたつ竹」を出版していますが、「ふたつ竹」の表題は何を表しているのでしょうか。

28

蟾蜍(せんじょ)(のふ)」という萱野三平が書いた俳文が残っておりますが、これは庭の何を見て執筆したのでしょうか。

@ 花     A 月     B ひきがえる     C 鳥

29

宝永五年、上方で初めて上演された義士劇の歌舞伎狂言はどれでしょう。

@ 泰平いろは行列  A 豊年永代蔵  B 合詞四十七文字  C 福引閏正月

30

次の記述の中で誤っているのはどれでしょう。

@     高野山の唯心法印が江戸にいた時討入り事件が起きた。

A     高野山には桂昌院が内匠頭と四十七士を祀り入れた位牌がある。

B     高野山には大石頼母助の供養墓がある。

C     高野山には大石良欽の供養墓もある。

 

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